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茶道

茶の湯で飲まれるのは「抹茶」という粉末の緑茶です。
抹茶は12世紀頃中国で飲まれていましたが、今では日本文化に与えた影響は大きいものとなっています。
抹茶は茶杓に一杓半を茶碗に入れ湯を注いで茶筅で撹拌します。これを「お茶を点てる」と言います。

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茶道一覧

茶道資格

茶道の資格について、裏千家では「許状」のほかに、修道の度合いによって資格制度を設けています。
この資格は茶道の修道者の習熟度を表すもので、平成12年に一般の方にも分かりやすいように名称・制度が改定されました。
これによって、入試の願書や就職の際に提出する履歴書に明記しても社会的な理解が得やすくなったようです。

また教授者にとって、この「資格」によって弟子の許状申請のできる範囲が決まってくるようです。

茶道には、裏千家・表千家・武者小路千家・遠州流など数多くの流派がありますが、資格習得までの道程はそれぞれ流派によって少々異なる内容があります。
流派にかかわらず、ゆったり和の心を学ぶ気持ちが大切な資格です。

【初級】(随時申請可三種目一括申請)
○入門(にゅうもん)
 最も基本となるおじぎの仕方から始まります。その次に割稽古(わりげいこ)と呼ばれる部分稽古を修得します。それが終わってから、はじめてお茶を点てることになります。

○小習(こならい)
 前八ヶ条と後八ヶ条の十六ヶ条の習い事。
 茶道の基本を養う上で最も必要な課目となります。

○茶箱点(ちゃばこだて)
 茶箱(ちゃばこ)と呼ばれる箱を使って行う点前(てまえ)の事。
 季節によって種類があります。

上記の資格を取得する事で初級の資格を得る事が出来ます。


【中級】(随時申請可)
○茶通箱(さつうばこ)
 二種類の濃茶(こいちゃ)を同じお客に差し上げるときの点前となります。

○唐物(からもの)
 茶入(ちゃいれ)が唐物(からもの:中国産)の場合の扱い方です

○台天目(だいてんもく)
 天目(てんもく)茶碗を台にのせて扱う点前のことを指します。

○盆点(ぼんだて)
 唐物茶入が盆にのった場合の点前

○和巾点(わきんだて)
 名物裂(めいぶつぎれ)をもって作った古帛紗(こぶくさ)の上に、袋に入れた中次(なかつぎ)をのせて扱う点前。

点前とはなにか

今回は点前の意義について説明していきたいと思います。

茶道とは、一言でいえば一杯のお茶をお客に飲んでいただくことですが、少しでも美味しくそのお茶を召し上がっていただく事のために、ひたすら心を砕いてお茶を点てる事であるといいます。
お客側もこうした心遣いをよく理解して、感謝の気持ちを心から表して、心と心の交流が主人と客の間に出来上がることという究極の目的を果たそうとする事です。

客に茶を点てて差し上げると言う具体的な一連の所作の事を点前と言います。
点前は元々、台子や天目茶碗等を使用するなど格式ばった仰々しい作法だったものを、珠光、紹鴎を経て、利休により、全ての不必要なものを捨て去り、心を込めて少しでも暖かい美味しいお茶を召し上がっていただくため、所作を最小限必要なものに凝集させた草庵点前として完成されました。

当初からの点前が全て捨て去られたわけではなく、当初からの点前、その後創作された点前も今に伝えられています。
ですので、多少違いが各流派によってあることを含めて、数重の点前が現存しています。
点前を順次習得させる形で茶道の稽古は進行して行きます。
所作としては一番単純な草庵点前が、まずマスターするうえで最初となることが多いです。
次に、高い点前など複雑で格式があるものを稽古していくというのが一般的であるようです。

草庵点前は単純であると言われているように所作は簡単なんですが、単純で茶を点てるだけの所作の中に亭主の客に対する心からのもてなしと言う気持ちを込めなければならないため、単純の中にも茶道の奥行きを感じることになると思います。

茶道お手前

茶道の始めというものは、主人が真心を尽くしてお客様をもてなすという事のみの事でしたが、時代が進んでいくうちに、お客と主人の礼儀作法や、美味しいお茶の点て方などが洗練されてきて、禅宗を広めた栄西などが茶種(抹茶等)をもたらしたことから禅宗の影響を受け、だんだんと精神修養の面が強くなってきたようです。

【お手前】
茶道の「おてまえ」は「お手前」「お点前」と書きます。

お茶を点てたり、炉に炭をついだりする所作・作法・様式のことを指していて、頻繁に使われる茶道用語の一つとなっています。

鎌倉時代の初め頃から抹茶が飲まれるようになってきました。
その当時からお客の目の前で定められた手順で茶を点てる事という「お手前」が行われるようになっていたそうです。

ですので、濃茶の場合や薄茶の場合など点てるものによっていくつもの種類のお手前があります。
ちなみに「お手前」の一種に茶ではなく炉に炭をつぐことを炭手前と言います。

茶道のお稽古方法などは流派や先生によって様々ですが、お手前の手順をメモったり書かずに体で覚えるべきだと指導する先生も多いようです。

手前をする人の心を純化させ、利他の心に至らせる手段であると同時に、お客に少しでもおいしい茶を飲んでもらうという目的ための技術であること、それが茶道における「お手前」の意義だからですね。

手順を覚えるだけでなく、事前準備や心など茶道でしか感じ得ない清涼感をもたらすなど、急に今日から!ではお手前は出来ないので、数年かかる事が当たり前なのです。

茶道免状のお礼は?

茶道で免状を受け取った後、先生へのお礼はどうしたらいいのでしょうか?

よくあるお礼については、表千家でお茶を習っている方からの質問ですが、茶通箱のお免状をいただいた際に、先生へのお礼というのはどうしたらいいと思いますか?茶道免状申請代の半分くらいいるのでしょうか?
通常は申請代の半分くらいでいいでしょうと聞いていたので、茶道の申請代が10万だったので5万円のお礼ということでいいのでしょうか?

同じ先生に習っている友人に聞いたところ、御礼はしていないということだったのですが、別の方は今まで半分のお礼をしてきたそうです。
直接先生に聞くのもかなり失礼だし・・・。先生にはとてもお世話になっているので、感謝の気持ちを持っているもののけっこう悩むところですね。

習事飾物の次の相伝ですので、言わば本格的な相伝の茶事を今回して頂けるので、次回茶事がある場合にお礼をするとして、今回は無しということにしてもいいのではないでしょうか?
表千家では、習事飾物は公開されています。でも、茶通箱からは家元(実際にはあなたの先生が代行)からの相伝で公開されていません。ですので、茶事をして相伝する事が多くなります。

なお、表千家では相伝(正式名称)を「許しもの」や「免状」とも呼ばれます。家元の書類や文章にもそのように書いてあるので参考にしてみましょう。

英語でも学ぶ事が出来る茶道教室

おすすめ茶道教室のひとつ耕日庵は英語でも学ぶ事が出来ます。
今回はそんな耕日庵のご案内です。

心を豊かにすることは、人間生活のうえでとても大切なことですが、お稽古を通してそのことを深く学ばせてくれます。

日々心を茶道を通じて耕しましょう。

和風門、飛石、板などをはじめ、耕日庵と内露地、四畳半床、四畳半点前座、八畳広間など、充分に茶事を堪能していただけると思います。

茶道教室耕日庵は千葉県小倉台にあります。

初心者の初歩はもちろん、奥秘までお稽古していただくことが出来るのが耕日庵の特徴です。稽古内容はお茶事を積極的に経験でき、茶道を通して日本の歴史と文化も学んで頂ける様なになっています。本格的な四畳半の茶室、また八畳広間でお稽古を行います。

英語で茶道を学ぶことが出来ますので、外国人の方にも人気が高いです。
初心者の方の無料体験・見学コースもありますのでお気軽にお問合せしてみてください、もちろん男女は問いません。

尚、定員になってしまうと入門を待たされる場合もありますので注意くださいますようお願いします。

場所は千葉県郊外、閑静な住宅街にあり、環境も良好です。

【詳細】
住所:〒246-0007 千葉県千葉市若葉区小倉町 1176-1
交通機関、最寄り駅:
   JR総武線快速本線「都賀駅」(東京より快速で45分)で乗り換え
   千葉都市モノレール「小倉台駅」下車徒歩7分
   改札口を出て右へ、階段を下り直進
   信号2つ目(千城生鮮小売市場)を左折

   又は、都賀駅発御成台車庫行きバスにて「小倉台五丁目」下車3分

http://www.koujitsuann.com/koujitsuann.html

茶道の銘

一般人にとって禅の精神は大変難解に思われる部分もあり、不立文字・教外別伝と言われるように、言葉では表現できない部分も多くあります。
しかし、一休禅師が村田珠光に示したことより起こった茶道の精神は、歴代の御家元も大徳寺に得度なされるなど、禅と不可分なものであります。
ですので、茶禅一味という言葉もよく耳にされるように、禅の知識と言うものが茶人には必須不可欠というようになっているのです。

拈華微笑(ねんげみしょう)という言葉があります。
釈迦の悟りというのは実に深淵なものですので、それゆえに言葉では伝えられない部分もあったようです。
言語を超越した悟りの境地を示されたところ、一輪の花をつまんだ釈迦が、迦葉(かしょう)尊者のみがその意味を理解してくれて、にこっと笑ってくれたそうです。
ここにおいて、禅宗という言語を超越する悟りを求めることが起こったと言われています。

知足(ちそく・足るを知る)という言葉もあります。
釈尊が臨終に臨み、人々に示した八つの教えの中の一つが「知足」というものです。
足ることを知る者は、たとえ貧しくとも持っているものに感謝の心がありますので、心については豊かだと思います。
しかし豊かな中でも足る事を知らないものにとっては、持っているものに対して感謝の心がないので常に外へ何かを求めて止まないと思います。
ですので、心はいつも貧しく、不安なものだと思います。
松平不昧公は「茶の本意は知足を本とす。」と述べているのを見ても知足と言うのは大事だと言う事です。

茶道の用語

茶道の用語と言ってもかなりの用語があり紹介しきれないので、一般的に使われている茶道用語を中心に解説したいと思います。

【茶の湯】
茶道と言う言葉がまだなかった時代に茶道の事を指していた名称です。今現在でも茶道ではなく茶の湯と読んでいる人がたくさんいます。

また茶道は「茶湯」と呼ばれる事もありますが、名称が違うだけで意味はほとんど変わりません。

【点てる(たてる)】
茶を点てるというように使い、かき回して調える、または茶の湯を行う、と言う意味となります。
似た言葉として「点前」(てまえ)と呼ばれることもしばしばあります。
これは茶を点てたり、炉に炭をついだりする所作・作法・様式の事を指します。

【茶会(ちゃかい)】【茶事(ちゃじ)】
もともとは両方とも同じ意味あいでしたが、現在の意味としては
「茶会」: お客を招いて、茶道作法にのっとって茶を楽しむこと
「茶事」: 正式な茶会。または茶道に関すること
というように微妙にニュアンス的に違う意味で使われています。

【扇子(せんす)】
茶道で使われる扇子は一般の扇子よりも小さくて、茶会にお客として出席する場合必ず必要な道具の一つとなっています。

【袱紗(ふくさ)】
通常の場合、袱紗は表裏2枚合わせ、または1枚物で方形に作った絹布で、結婚式などお金や進物などを包むのに使いますが、茶道の場合は茶器の塵を払ったり、茶碗を受けたりするときに使う物で、縦横27センチ、29センチほどの絹布のことをいいます。


このように茶道の基本的な用語をいくつか紹介しましたが、流派によって多少意味が違う場合もあります。
実物を見ながら実際に体験することで体で覚えていくのが一番いい方法だと思います。

茶道のお稽古

茶道の茶事稽古がありましたのでご紹介します。実際に炭点前を省略したお茶事を体験しながら宗匠の指導を受ると言う事で、すごくよい経験が積めると思います。
お客様に対して美味しいお茶を飲んでいただくために、もてなす側の主人が心を尽くすと言う事は大変な事なんだとしみじみ感じました。

【寄付】
* 床  香林院住職 金嶽宗信師筆 絵賛
 「一日不作 一日不喰」(一日作さざれば 一日喰らわず)
* 莨盆 遠州好 舟形 一双の内
* 莨入 遠州好 四方 面取
* 火入 遠州好 宜徳 瓢形
* 灰吹 青竹
* 敷物 ペルシア

お茶事でお客様が一番最初に案内される場所の事を寄付(よりつき)といいます。お茶事への身支度を整えてもらい、香煎(口の中をさっぱりさせる飲み物)をいただきます。ここの場所へ来るまで歩いてきたことなどすっかり忘れて、爽やかな心持でお茶事に向かう事が出来ると思います。上記にあるように寄付の掛け物などは、一見「働かざる者食うべからず」の意味と思わせるところはありますが、実はそうではないようで、お稽古をしっかりすると同時に美味しいものをいただいてみましょうという、主人の心遣いが感じられます。
寄付には莨(煙草)入や、盆が用意されているのですが、飾りとしてだけで置いてあるところが最近では多く、狭い部屋の中で吸うこと自体あまりよくありませんので、使わないように配慮するべきだと思います。

大日本茶道学会


大日本茶道学会は、一般的には「茶道学会」とか「学会」などと呼ばれています。

大日本茶道学会は、明治31年(1898年)、田中仙樵(1875~1960)によって京都の高台寺に本部が設立されました。

その後、本部は東京に移転し、現在は新宿区左門町にあります。
学会は茶道文化の近代化を目指しています。
茶道はこれまで閉鎖的で封建的な風習に支配された世界でした。そこで学会は、茶道を本来の世界である精神に基づいた世界への改革を目指すこととなりました。
各流派の秘伝公開を筆頭にして、理論的かつ学問的に研究し、究極的には流儀の制約から解放を目指し、
印刷物(書籍)の発行や公開講座の開催などによって茶道を近代化させるとともに、茶道を広く普及させることにありました。
現在は第四代会長である田中仙翁の下、学会創設以来の目的や伝統を護り、茶道をより多くの人びとに伝えて行くための研究と教育・普及活動を行っています。


【田中仙樵(タナカ・センショウ)】
明治8年(1875年)に京都府天田郡西中筋村に生れる。本名は鼎(カナエ)
裏千家の茶人である前田瑞雪に入門し、裏千家十三代円能斎千宗室に師事して皆伝をうける。

【田中仙翁(1927~   )】
大日本茶道学会の現会長(第四代)
茶道学会を支える財団法人三徳庵の現理事長でもある。
早稲田大学大学院東洋哲学科修了

主な著書には
『茶道の美学』:講談社学術文庫
『茶を学ぶ人のために』:小学館
『茶道入門ハンドブック』:三省堂
があります。

茶道、裏千家

メジャーな茶道流派の一つである裏千家は、表千家、武者小路千家(千利休の伝統と精神を受け継ぐ)と並ぶ
「三千家」の一つです。

門下生の数は非常に多く正確には分かりませんが、現在、裏千家は茶道諸流派中最大の流派となっていることから推測
すると、門下生の数は茶道人口の過半数に達しているだろうといわれています。

「裏千家」という名前の由来は、茶室「今日庵」が表千家を代表する茶室「不審庵」対してつけたられたもので、表千家は表通り
にというのに対して茶室「今日庵」が裏側にあったからという理由だそうです。

裏千家の特徴は「積極性」だそうです。
ここでいう「積極性」とは、新しい点前を作ることに対して他の流派よりも熱心に取り組んでいるということを指しています。

その積極性で裏千家は新しい点前を考案しました。外国人向けに椅子とテーブルによる点前を考案したものを「立礼式」、
あぐらで点前を行なう「座礼」というのが裏千家によって考案された新しい点前といわれています。

三千家の点前作法は基本的に似ていますが、フリー百科事典ウィキペディアによれば、裏千家には以下のような特徴が
あると言われています。

・裏千家では薄茶を良く泡立てますが、この方法のように泡で茶の全面を覆うような点て方を表千家ではしません。
・茶筅は裏千家の場合は白竹のものです。表千家では煤竹を、武者小路千家では黒竹を用いています。
・裏千家の女性の帛紗(ふくさ)は緋を基本としていますが、柄物などもあります。
 逆に表千家では袱紗(ふくさ)は朱無地です。

他にも三千家のそれぞれの特徴があります。茶道を本格的に学んでいけば、違いというのはもっとわかってくきます。

最後に、裏千家は、侘びを尊ぶ三千家のなかでは比較的派手な方です。裏千家では、彩り豊かな点前が好まれているようです。

茶道教室

表千家茶道教室のご案内です。

【特徴】
・個人教授宅で少人数でのお稽古をしております。カルチャースクールのように大勢で行うものではありませんので、しっかりと作法を身に付けることができます。
・カルチャースクールに通っている方でも、よりレベルの高い、本格的でしっかりとしたお稽古の内容を求めて、移って来られる方も多くおられます。
・礼儀作法などのマナーや、茶道に適した洗練された立ち振る舞い、自然と目上の方に対する言葉遣い等が身についていきます。
・足膝の悪い方でもお稽古可能なように設備がしっかりと整っています。
・表千家茶道公式サイトの表千家不審庵稽古場案内に認定登録されています。

【お稽古に来ている方々のお声】
・自分の予定に合わせて、自由な曜日や時間に稽古ができるという融通性や利便性が私のスタイルに合っていてすごく助かりました。
・ホームページの記載されている内容と実際の稽古内容が違う教室が多い中、この教室は違いがないことにすごく驚きました。
・お稽古のたびに、美味しいお菓子やお茶が頂けるのですごく稽古をするのが楽しみになっています。
・炭点前のお稽古を自分がすることが出来たり、見たり出来るのがすごく嬉しかったです。
・私はあまり茶道に対する技術がなかったのですが、ここは個人のレベルに応じて先生が丁寧に一人ひとりにご指導してくださったのですごく嬉しかったです。

【最近ご入会された方からよく寄せられるお言葉】
・この教室のホームページを拝見していて是非ここに行きたいと思いました。
 けど、私は茶道が全くの初心者でしかも一人で入門したため、かなり緊張や不安を抱きながら稽古に行きましたが、そんな心配は不要でした。すぐ友人を作る事ができました。


http://www.mindpeace.info/sadou/contents.html#kyoushitu

茶道豆知識

茶道まめ知識をここで少しご紹介します。

【島台】とは、島台(しまだい)茶碗のことを指します。
島台というのは、もともと塗物の杯を二つ重ねたものをいうのですが、それを模して、
大小二つの井戸形のお茶碗をかさね、内側に金銀の箔を張った楽茶碗です。
縁起事(例えばお正月など)など、お祝い事での茶事などに重(かさね)茶碗として用いられています。

【雪のいろいろな表現法】には以下のような言葉があります。情緒など感じ取ってみてくださいね。
六花(むつのはな) :花の異称
はだれ雪      :まだらに降る雪
細雪(ささめゆき)
雪催い(ゆきもよい):雪の降りそうな空
御降(おさがり)  :元旦または三が日に降る雪・雨のこと。豊穣の縁起とされる。
雪明り(ゆきあかり)
雪時雨(ゆきしぐれ)
雪の果(ゆきのはて):降りじまいの雪(忘れ雪・名残雪とも言う)
淡雪(あわゆき)  :春になってから降る雪

う~~ん・・・なんとも趣き深い・・・・それぞれ情緒が感じられる表現ですよね。
みなさんも感じてみてくださいね。


【大炉(だいろ)】は、裏千家十一世玄々斎が北国の囲炉裏から考案したもので、6畳の部屋に切ったのをはじまりと
しています。
本来の炉(42.4cm)より4寸ほど大きい(54.5cm)四方の炉で、6畳間に逆勝手に切るのが約束事です。厳寒のとき
(2月頃)のみ開かれています。
大きな炉で広口釜(口造りがとても大きい)を使う「大炉」は、一つ一つの動作が大きく厳かですので、どっしり構えた重厚な数々の道具から外の寒さを忘れてしまいそうです。

※ 本勝手と逆勝手
手前畳の右側に客畳みを置く場合を本勝手、手前畳の左側に客畳みを置く場合を逆勝手と言います。
右利きが多いので、本勝手が大多数のようです。


【初午】は2月の最初の午(うま)の日のことを指しています。
また、稲荷の縁日のように、その日を祭日として行われる神事のことも指しています。

【馬上盃[杯](ばじょうはい)】
馬に乗った状態のままで高台の部分を片手に持って、お茶やお酒が呑めるように作られた茶碗ことです。
この高台部分は長く作られています。

茶道の歴史

茶道の歴史を少しご紹介します。
茶は兵亜印字代に中国より日本に伝播して、鎌倉時代には抹茶が薬用に用いられ、次第に嗜好品として喫茶の習慣が広がっていきました。室町時代には中国からの舶来品”唐物”を座敷飾りや道具に用いて茶の湯が成立、安土桃山時代にいたり、千利休が茶の湯を大成します。以来400年以上、茶の湯は日本人のこころの豊かさと楽しみをもたらしています。

【栄西禅師】
略歴
1191:宋より帰国。茶種を持ち帰る。
1211:「喫茶養生記」を著す。禅と茶。
     ”闘茶”・”唐物”の流行。
1397:足利義光、金閣寺造営。
     茶の湯、生け花が流行。書院茶。

日本における「お茶」は鎌倉時代、栄西禅師によって茶の実が中国から伝えられたのが初めだと言われています。
お茶は最初、禅僧の薬として伝わったのですが、鎌倉時代も後期になると「闘茶」という、飲んだお茶が栂尾
(とがのお)産の本茶であるか、それ以外の茶であるかを当てるゲームが流行しました。
当時の大名たちの間で大流行し、やがて茶道に使う「茶道具」と言われる美術品が重宝され始めます。
「茶入」と呼ばれる唐物の小壺などは、一国の領土と同じ価値として扱われたのですから、当時は茶道具が非常に珍重されていたことがわかります。そして「わび」「さび」といった日本固有の感覚を産み出すこととなりました。

【村田珠光】
略歴
侘び茶を起こす。一休和尚(大徳寺)。
戦国時代、堺衆と茶の湯。

【武野紹鴎】侘び茶の心を新しい茶道具で表現します。
略歴
1533:奈良の漆屋、松屋、久政・久好・久重の三代、百数十年にわたる茶会記録「松屋会記」の初年記録。
1535:武野紹鴎、堺に戻り、堺文化の担い手として指導的役割を果たします。

村田珠光は一休和尚に参禅し、庶民の茶に禅の精神を取り入れ「侘び茶」の祖とされています。
小間(四畳半以下)や広間(四畳半以上)の基本となる四畳半の茶室を考案したのも珠光でした。
珠光によって構築された「侘び茶」を武野紹鴎が受け継ぎ、侘び茶を更に発展させました。
「わび」「さび」は、日本を代表する世界的な言葉ですが、それを説明するのはなかなか難しいです。
過去にベストセラーになった本がありましたね。
こうして発展した「侘び茶」は、後に千利休によって大成されたと言われています。


【千利休-表千家、裏千家、武者小路千家】
1539:武野紹鴎に師事。
1548:堺の豪商、天王寺屋 津田宗達・宗及・宗凡の三代にわたる茶会記録「天王寺屋会記」初年記録。
1568:千利休、今井宗久、津田宗及の三人が、茶頭として織田信長に仕える。
1582:利休、豊臣秀吉の茶頭となり、茶頭としてのみならず秀吉も側近として重要な立場に立つ。
     完成された侘び茶。

1585:利休、秀吉が関白になるのを記念する茶会に、居士名「利休」で出席。
1587:”北野大茶湯”が催される。
1592:利休、秀吉と対立し、二月二十八日、切腹。


【古田織部】大名たちの茶と”堂上茶”。

千利休によって完成した茶道は、利休から古田織部ら武士の間にも広まりました。
また、利休が豊臣秀吉の怒りに触れて切腹してから後も、孫の宗旦らによって千家茶道が伝わりました。
利休に茶を学んだ織部たちも自分の茶を持っており、また織部の弟子の遠州も自分なりの茶風を展開してきました。 しかし、この頃になると、「遠州流の茶道」「石州流の茶道」といったように、「流儀」を存続させよう、という 意識に変わってきたようです。千家においても、宗旦の三人の息子たちによって、「表千家」「裏千家」 「武者小路千家」といった三千家が興されました。
これらの流儀の茶道が江戸時代の長い間熟成され続いてきました。


【小堀遠州-遠州流、片桐石州、後西天皇、金森宗和、野々村仁清】
1612:小堀遠州、大徳寺弧蓬庵の茶室、亡筌を創設。
1660:後水尾天皇、修学院離宮を完成。桂離宮。
1868:明治維新によって武家階層の支持者を失い、茶の湯衰退。


【益田鈍翁】荒廃しつつあった仏教美術や東洋の古美術を収集し、茶の湯に入る。
1885:裏千家十一世家元、玄々斎宗室によって立礼式始まる。
1895:新興の政財界人によって、茶の復興始まる。
1912:原三渓、大正初年頃より、茶器の収集に尽力。
1945:第二次世界大戦後、女性を中心に未曾有の茶道人口が出現。

茶道の作法あれこれ

みなさん、こんな疑問を持ったことはありませんか??

「茶室が四畳半なのはなぜ??どうして??」


理由その1
室町時代、足利義政造営の東山山荘(銀閣寺)の東求堂の書院、同仁斎の茶室の広さが、
茶室が始まったとされた頃に四畳半だったからという説。


理由その2
村田珠光、武野紹鴎、千利休など、名だたる茶人たちが四畳半を基本にしたことが、
茶室が広まるもととなり、四畳半という広さが決定的になったのではないか?という説。


理由その3
お客様を大勢対象としていた会所、また書院座敷での喫茶などが少人数で嗜む草庵の茶の湯に変化していく
上で、四畳半という広さが見合う広さになっていったのではないか?といいう説。


単純な私的創造をしてみると、実際には「理由その2」に近かったんじゃないかな??
なんとな~くその広さがハヤリ(イケてる)みたいになって、スタンダードになったんじゃないの??って思う。

他にも例えば、
「茶室の入り口は何故狭いのか?」
の理由について考えた事ありますか?この狭い入り口は茶室特有のもので、小さな出入り口で躙口(にじりぐち)
と言うんです。大きさもある程度一定で、高さ二尺二寸余、横二尺一寸が標準的です。
このにじり口は千利休によって始められたと伝えられています。また、他の説としては屋形船の出入り口がヒントとなったのではないか?
という説もあります。

茶道には、お客様が茶室ににじりながら入る(ねじりながらではない)と言うような礼儀があって、しかも狭いところに
身をかがめて入ると、部屋の広を広く感じる事ができたり、床の間が目線と同じになったりと視覚的効果もあるようです。

さて、女性が茶道を嗜むようになったのは明治以降のことです。
近代茶道の創始者といわれている、裏千家十三世圓能斎宋室が女学校の教育に茶道を取り入れたのがその始まりとされています。
さらに昭和になり、女子教育が盛んになっことで急激に普及しました。

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